骨董商の歴史 ~平安時代から現代まで~

 
骨董商とは、絵画や掛け軸、陶器などの古美術品や古道具などの骨董品を売買する人のことです。「古物商」「美術商」などとも呼ばれ、個人でやっている方もいれば、法人としてやっているケースもあります。

そういえば、骨董商という商売っていつ頃から始まったのでしょう・・・。
今回は骨董商の歴史について、ちょっと掘り下げてみようかと思います。

ー目次ー

1.骨董品収集が庶民に広まったのは江戸時代になってから

もともと骨董品を集める「骨董品収集」という風習は、平安時代に中国から伝えられたとされています。ただ、当時は高価な骨董品ばかりで、大名や豪商、有力商人のようなお金持ちの趣味とされていました。

骨董品収集が庶民に広まったのは江戸時代になってから。
「茶道」という文化が庶民に広まったことで、茶道で使う茶道具が“骨董品”として集められた、というわけです。

茶道も、もともとは大名や豪商のようなお金持ちの世界でした。
ところが千利休系の「三千家」という流派によって、庶民でも楽しめる趣味として茶道が親しまれるようになったのです。

1-1.茶道が庶民に広まったきっかけが家元制度

ちょうど家元制度ができたのもこの頃。茶道が庶民に広まったことで、お弟子さんたちの数も飛躍的に増えていきました。

「骨董商」が生れたのも、茶道の普及と同じ江戸時代です。
もちろん、骨董品のメインは茶道具でした。

骨董品の始まりは茶道具から

骨董品の始まりは茶道具から

2.明治時代に爆買いされた美術品がボストン美術館に

骨董商が取り扱う種類が増えたのは明治時代に入ってから。
茶道具以外にも、絵画や書画、掛け軸、家具など幅広く取り扱うようになりました。

この頃、日本に黒船がやってきましたが、これらの骨董品に目を付けた外国人が大量に買っていってしまいました。

ボストン美術館にある日本美術コレクションがそれです。
彼らにとっては「骨董品」というよりも「美術品」「芸術品」だったのでしょうね。

その価値が分かるのが、ボストン美術館の貯蔵している数です。

2-1.ボストン美術館の日本美術コレクションは10点超

ボストン美術館は1876年(明治9年)に開館しましたが、約50万点にものぼる作品中、日本美術コレクションは10万点を超えるといわれています。

この数からも、いかに黒船でやってきた外国人が日本の古美術品を買い付けていったか、いかにそれらに価値があったかが分かりますよね。

2-2.国宝級の日本の作品がボストン美術館にある

例えば、日本画だと安土桃山時代のものや室町時代のものや工芸品では江戸時代の根付や鎌倉時代の弥勒菩薩像、19世紀初期の印籠など。国宝級の作品が、日本ではなくボストンにあるのです。

当時、文明開化の影響で西洋文化をさかんに取り入れはじめた日本人にとって、こうした古美術品は価値がないとされていたのでしょうね。ちょっと残念です。

大正時代の面影が漂う建物

大正時代の面影が漂う建物

3.高度成長で再び古美術品にスポットが

大正時代に入り、第一次世界大戦が始まることで日本は大戦景気から、「成金」と呼ばれる人たちが登場。古美術品の取引が一気に活発になりました。

昭和の時代になると、太平洋戦争で敗れたことで古美術品の取引も一時下火に。ところが、高度成長期を迎え再び古美術品にスポットがあたるようになりました。

3-1.サントリー美術館や五島美術館などが開館したのも高度成長期

サントリー美術館や五島美術館、畠山記念館などが次々と開館したのもこの頃です。
それまで骨董収集は「金持ちの道楽」とされていましたが、この頃から庶民も骨董品に興味を持つようになります。

ただし、高価な古美術品は企業などが買い占めてしまい、庶民の手には入ってきません。そこで当時の骨董商たちが目を付けたのが、「伊万里焼」や「六古窯」などの作品でした。

3-2.「アンティーク」と呼ぶようになったのは昭和40年代になってから

昭和40年代に入り、「日本列島改造」ブームで全国各地の古い家屋が取り壊され、その際に出た伊万里焼や民芸品などが都心に運ばれました。
骨董品を「アンティーク」と呼ぶようになったのもこの頃です。

それまでは国宝級の作品や高価な作品が古美術品の主流となっていましたが、この頃から伊万里焼や民芸品、古道具なども古美術品として扱われるようになりました。
若い人の間でも古い時計や玩具などを集めるコレクターが登場したのです。

レトロな雰囲気の時計や地球儀

レトロな雰囲気の時計や地球儀

4.魯山人も店を構えたことがある骨董通り

ところで、皆さんは「骨董通り」に行かれたことがありますか?
日本で骨董商・古美術商が一番集まっている通りで、日本橋と京橋をまたぐ東仲通りにあります。

骨董通りについては、また別の機会に詳しくお話ししますが、かの魯山人(日本の芸術家であり美食家)も戦前はこの通りで店を構えていたそうです。

骨董通りには100年以上の歴史ある古美術店もあり、店構えそのものがまるで芸術作品のようで、かなり目の保養になります。

お茶室とギャラリーが併設されているお店もあるようなので、お休みの日に骨董通り巡りでもしてみてはいかがでしょうか。遥か昔にワープできるかもしれませんよ。
 

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