「勲章っていつ頃から贈られるようになったの?」「勲章制度って今でも必要なの?」
一般庶民には馴染みのない代物ですが、勲章は長年の功績や功労に対して与えられるモノ。その起源をたどると文武天皇の時代にまでさかのぼり、当時、与えられたのは勲章ではなく「田」だったとか。
今回は、勲章が与えられるようになった歴史とその意味について紐解いていきます。
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ー目次ー
日本最古の勲章はナポレオン3世に贈呈
「日本軍 勲章の価値・相場・買取りについて」のページで「栄典」について説明してありますが、栄典は国や社会に貢献した人を表彰するため、国が与える地位や称号・待遇の総称です。
勲章とは、栄典のひとつで栄誉を表す章飾の意味。栄誉のしるしです。日本では毎年4月と11月に叙勲・褒章が行われ、春の勲章・秋の勲章が贈られます。
・昔は勲章ではなく「田」が贈られていた
勲章の起源は、文武天皇が701年に制定した大宝律令による、恩賞階級のひとつでした。恩賞とは、手柄を立てた家臣に対し、主君が与える褒美のこと。
当時は、褒美といっても勲章ではなく「田」で、功績に対して贈られることから「功田」と呼ばれていました。
・日本最古の勲章はナポレオン3世に贈呈
日本で最初の勲章は、慶応3年(1867)の春にパリで行われた「第5回 万国博覧会」に参列した薩摩藩が、ナポレオン3世をはじめとしたフランス高官に贈った功牌(こうはい)です。
この功牌は「薩摩琉球国の勲章」と呼ばれ、現在も鹿児島市にある磯庭園(旧島津家別邸)にある博物館「尚古集成館」で大切に保存されています。
余談になりますが、尚古集成館は島津家の歴史と文化に触れられるだけでなく、建物自体が世界文化遺産に登録されていますので、鹿児島旅行の際は立ち寄られてみるのもいいかもしれませんね。
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明治8年からスタートした勲章制度
現在のような勲章制度がスタートしたのは明治に入ってから。勲章には以下の6種類と現在は廃止になっている「金鵄勲章」があります。
1.大勲位菊花章
2.桐花大綬章
3.旭日章
4.瑞宝章
5.文化勲章
6.宝冠章
明治8年に旭日章、同10年に大勲位菊花章、同21年に桐花大綬章、同29年には瑞宝章と徐々に体系が整っていき、現在に至っています。
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・平成15年に大幅改定された栄典制度
この勲章制度(栄典制度)、実は「肩書や年功が重視されている」「正当な評価がされていない」として廃止すべきという意見や「過去の遺物」とまでいう声もあり、平成15年に大幅改正されました。
確かにこういった意見には一理あります。
ただ、年齢満70歳以上が対象者ということで「年功序列」「年齢制限」と捉えると反発したくなるものの、「長年続けていくことの苦労」「リーダーや長、パイオニア、継承者としての苦労」に対しての目安として考えれば合点がいく人も多いはず。
・勲章の代わりに「ありがとう」を伝えよう
その辺も加味し、新たに警察官や自衛官など自己犠牲により社会貢献した人に贈る「危険業務従事者叙勲」が創設されたり、褒章は年齢に関係なく優れた功績を上げた人に対しても贈るようにするなど大幅に改定されたわけですが・・・。
いずれにせよ会社や家庭でも、勲章の代わりに「ありがとう」と感謝の気持ちをちゃんと言葉で伝えていきたいものですよね。
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「そういえば、実家の倉庫で一度見たことある」
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・金鵄勲章は貴重で価値の高いモノ
特に金鵄勲章はすでに廃止されてしまっているため、今では非常に珍しい勲章だけにその価値も貴重です。
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