人気漫画『ゴールデンカムイ』で注目を集めているアイヌ民族。
アイヌといえば「北海道」。
北海道といえば「木彫り熊」。
ー目次ー
木彫りの熊ブームは昭和30~40年頃
皆さんの中にも、北海道土産として木彫り熊を買ったり、もらったりした方がいるのでは?
確かブームになったのは昭和30~40年頃だったと思います。
玄関やリビング、床の間などに飾ってありましたよねぇ。
とは言え、あれから50年以上も経ってますから、よほど手入れをされているお宅でないと、古ぼけたりホコリまみれになっているかもしれませんね。
木彫りの熊も買取できます!
当店にも、「木彫りの熊なんて買い取ってもらえますか?」といった問い合わせをいただくことが時折あります。
はい!
木彫りの熊も買取できます!!
「じゃあ、うちの木彫りの熊も買い取ってもらえるんだよね?」
「すべて買い取ります!」と言いたいところなんですが、そういうわけにはいかないんです。
そこで今回は、木彫りの熊の価値についてお話しようと思います。
木彫り熊の歴史は明治にさかのぼる
もともと木彫りの熊が、なぜ北海道のお土産として定着したのか―
発祥の地は、北海道の八雲町だといわれています。
地元には「八雲木彫り熊資料館」もあります。
話は明治にさかのぼりますが、明治維新により職を失った旧尾張藩士たちが、移り住んだ地が八雲だったのです。
彼らは農業で生計を立てようとしますが、せっかく作った農作物も熊の被害にあい、冬は冬で厳冬の北海道ですから、農作物を育てることはできず経済的に苦しんでいました。
尾張徳川家19代当主・義親候の計らい
そこで、尾張徳川家19代当主だった義親侯が、欧州旅行の際、スイスの農村で作られていた木彫りの熊などの工芸品を持ち帰り、農作業ができない冬の時期に作って観光客に販売することを彼らに勧めたのです。
1924年(大正13年)には「八雲農村美術工芸品評会」が開催されました。
さまざまな作品が集まったようですが、その中で注目を集めたのが、酪農家の伊藤政雄氏が作った木彫りの熊でした。
義親侯がスイスから持ち帰った木彫りの熊とよく似ていたそうです。
伊藤政雄氏の作品が賞を受賞
その後、伊藤氏の彫った熊が賞を受賞し全国的にも注目を集め、1928年(昭和3年)には「八雲農民美術研究会」が設立。
農民たちが作る美術品は次第に評価されるようになりました。
しかし種類もさまざまだったため、八雲を代表する民芸品を絞り込もうということで選ばれたのが木彫りの熊でした。
実際に土産品として販売が許可されたのは1931年(昭和6年)頃から。
翌年には、雑誌で「北海道観光客に一番喜ばれる土産品」として八雲の木彫り熊が紹介されたそうです。
木彫り熊はアイヌの伝統文化
木彫り熊の発祥については、八雲以外にもう一つ、旭川の歴史もあります。この地の木彫り熊はアイヌ民族によるものです。
アイヌの伝統文化の中には、もともと優れた木彫りの技術があったといわれています。
中でも、松井梅太郎氏が彫った熊が評判を呼び、熊を彫る人が増えていったそうです。
こうして木彫りの熊は八雲、旭川を中心に北海道の定番土産となったわけです。
アイヌ民芸としての木彫り熊の歴史については、長くなってしまいますので別の機会にお話ししますね。
価値ある木彫りの熊とは?
最後に「価値がある木彫りの熊とは?」について。
高度成長期の勢いもあり、第二次民芸ブーム・国内旅行ブームでもあった昭和40年以降に観光地の土産物として大量に作られたモノは価値が低く、買取できたとしてもご期待に添えるような金額をお付けすることは難しいかもしれません。
もちろん、品物の状態を見なければ一概に価値なしとは言えませんが、一般的に骨董業界で「作家モノ」と呼ばれ、「価値あり!」とされているのは次のような作家さんの木彫り熊です。
・伊藤政雄
・十倉金之(兼行)
・松井梅太郎
・茂木多喜治
・引間二郎
・鈴木吉次
・柴崎重行
・上村信光
・根本勲
・藤戸竹喜
引間二郎氏の作品は、熊の足裏に「木歩」の印があり素人の方でも分かると思いますが、作家を示す印が無いものも多くあり、経験を積まないと見分けることはなかなか難しいかもしれませんね。
☆しかしそのような作家のモノでなくても、それほど古いものではなくても、店主が「可愛い」と思えば喜んで買取させていただきます!
素敵なくまさんとの出会いを楽しみに、この記事を書いております。
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