以前、大工職人の友人と久しぶりに会う機会があって色々話をした中で、手に職があって、その腕で稼いで、とてもかっこいいことだよなあ、素敵だよ、と思ったのでそれを話すとこの素敵な友人は「畠山くんだって目利きで稼いでるじゃない、同じだよ」と言ってくれました。

この職業をしていてそんな風によく言ってもらえることなんて無かったので、僕はなんだか照れてしまって、いや〜そ、そうか、そうなのかな〜 と でもなんだか嬉しかったものです。

確かに 自分は、よくいる、すでに顧客とコネを土壌として持っている二代目の骨董商でもなく、親の店舗や家を持っているわけでもない、ほんと裸一貫の一匹古物屋で しかも人付き合いが嫌いだからこの業界に15年と居るのに殆どコネもありません。

そんな自分がいちおう、まがりなりにも収入を得て税金を払いつつ暮らしていって、貯金もできているのは もちろんご依頼いただくお客様に商売させてもらって、そこから収入を得ているわけですが、目利きということができなければこれはできないわけで。

目利きとは一体何でしょうか。この漠然とした言葉は。魚や野菜など食品、またお酒などの世界でも使われる言葉です。さらに 企業の人事の仕事をされている方は、日頃から ヒト の目利きをしているわけです。

たとえば 山に行くとします。山ですから 見渡す限り、あらゆるものが足元から頭上から地中にも存在しています。あらゆる、木々や植物菌類動物、岩石。

全く何の知識もない人がその山に行っても、ただハイキングをして帰ってくるだけでしょう。ああ、いい眺めだった。自然は素晴らしい、気持ちが良い。と、それでおしまいです。

しかし、目利きが同じ山に行くと、ただハイキングしてた人の意識にも入らなかったそのへんに転がっていた石ころを見つけるでしょう。そしてその石ころ一つで往復の旅費と食費宿泊費は楽に賄えるほどの収入を得ることができるのです。

それが目利きとそうでない人の違いです。もちろん、石の目利きは昆虫や植物の目利きはできないので、自分がいにも介さず踏みつけていったその植物が、自分がゲットしたさっきの石ころの10倍の金額で取引されていることには、きっと一生気が付かないでしょう。

目利きには知識と経験の蓄積と、修練を要します。目利きだけしてお金が得られるわけではありません、それは某鑑定番組の茶番テレビショーでしょう、然るべきところで換金できる所までできてこそ目利き人です。

目利き人15年、私も大工職人の友人に負けないよう頑張っていきたいものです。